研究室案内
麻酔科学の領域は、手術における麻酔などの周術期管理だけではなく、集中治療や疼痛治療などの幅広い分野にまで及びます。当教室は、京都大学大学院医学研究科・侵襲反応制御医学講座・麻酔科学分野として、この領域の主だったトピックを広くカバーする研究を行っています。
当教室で行われている研究の主だった内容について概説します。
当教室の研究に興味を持たれた方、共同研究等を希望される方は
e-mail(karin[at]kuhp.kyoto-u.ac.jp )([at]を@に変えてください))にて御連絡下さい。
研究紹介
- 術中呼吸・循環管理が予後に及ぼす影響に関する研究
- ICU-AW発生メカニズムの解明及び予防方法の開発
- 周術期関連因子の血小板機能および凝固系に対する作用について研究
- オピオイド受容体を起点とする細胞内シグナル活性化機構の解析
研究紹介(術中呼吸・循環管理が予後に及ぼす影響に関する研究)
手術中に循環器系・呼吸器系を始めとする様々な器官に生じる生理的変動を制御することは我々麻酔科医の重要な使命の一つである。例えば全身麻酔薬や麻薬の作用によって生じる血圧や心拍出量の低下に対して輸液負荷や心血管作動薬の投与を行うことで全身の臓器灌流を維持し、自発呼吸の消失に対して陽圧換気を施行し、酸素投与や呼気終末陽圧を用いることで低換気や低酸素血症を予防する。
そのような呼吸・循環管理を行うための指標として血圧、動脈血酸素飽和度、気道内圧、心拍出量等の呼吸・循環パラメータが広く用いられているが、実はそれらのパラメータがどの程度の変動を来した時に患者予後への影響が生じるのかについての臨床的エビデンスはほとんどないというのが実情である。
我々は、術中の呼吸・循環パラメータの変動に関する情報を効率良く抽出・解析できるデータベースを構築し、それに基づいて術中の呼吸・循環変動が予後に及ぼす影響を明らかにすることで、患者予後の改善につながる呼吸・循環管理指針の策定に寄与するエビデンスを提供することを目的として研究している。
日本麻酔科学会第64回学術集会(2017年、神戸)にて「小児肝移植手術における周術期急性腎障害の発症状況調査」で最優秀演題賞獲得(左:濵田、右:溝田)
2019年「周術期急性腎障害の予測、およびその長期予後への影響に関する研究」で小坂二度見記念賞を受賞
研究業績
Intraoperative end-tidal carbon dioxide and postoperative mortality in major abdominal surgery: a historical cohort study. Dong L, Takeda C, Yamazaki H, Kamitani T, Kimachi M, Hamada M, Fukuhara S, Mizota T, Yamamoto Y. Can J Anaesth. 2021 Nov;68(11):1601–1610(査読有) Intraoperative oliguria predicts acute kidney injury after major abdominal surgery. Mizota T, Yamamoto Y, Hamada M, Matsukawa S, Shimizu S, Kai S. Br J Anaesth. 2017 Dec 1; 119(6):1127–1134(査読有)
研究紹介(ICU-AW発生メカニズムの解明及び予防方法の開発)
集中治療後症候群(Post Intensive Care Syndrome: PICS)は集中治療室在室中または退室後に生じる身体障害・認知機能・精神障害と定義されています。中でもPICSに含まれるICU-acquired weakness(以下ICU-AW)は、重症敗血症患者の約半数に発症する左右対称性の四肢筋力の低下を特徴とした疾患で、その発症は患者の生命予後を悪化させるだけでなく、QOLを大きく低下させることがわかってきました。詳細な分子生物学的発生メカニズムは不明、未だ臨床的に有効な予防法は確立されておらず、現状、早期リハビリテーションの介入が唯一の対抗手段です。敗血症生存回復患者の増加に伴い、近年、ICU-AWは集中治療領域における解決すべき重要な課題として注目されています。
我々の研究グループでは、この課題に対し、培養細胞であるマウス筋芽細胞C2C12細胞を用いたin vitro実験とマウスを用いたin vivo実験を通してICU-AWの発生メカニズムの解明や予防方法の確立を目的として研究を遂行しています。具体的には、敗血症を模したモデルを作成し、その作用機序を生化学的・細胞生物学的手法で検索するとともに、ICU-AWの発症を予防する薬剤の探索を行なっています。現在までに本研究を通じ、薬剤X&YがICU-AWを予防する可能性を示唆するデータを得ることに成功したことから、現在詳細な検討を加えています。(右図:敗血症モデルマウスにおいて薬剤X&Yは筋萎縮を促進する分子を構成するAtrogin-1, MuRF1の遺伝子発現量を低下させる。)
一方で超高齢化社会を迎えた我が国において入院患者全体に含める敗血症患者は約3%(2010年)から約5%(2017年)へと増加しています。世界に目を向けても今後30〜40年で欧米諸外国は現在の我が国の高齢化率(2021年時点で日本29.1% vs. 米国17.1%)に達する(総務省統計局 2022年)とされます。この点において我が国はいわゆる“高齢化先進国”で、高齢化が進む世界において「ICU-AWの予防」に関する研究は我が国が世界を牽引するべき社会的大きな意義をもつ研究テーマと考えています。
我々の研究は、基礎研究ではありますが臨床応用をゴールに見据えた橋渡し研究で、世界で初めてICU-AWに対抗する臨床的な有用性を提案する画期的でかつ、未だ解明されていない臨床的意義のあるICU-AWの成因を明らかにできるブレイクスルーとなる研究です。さらに結果は高齢者のロコモティブに関与した健康寿命伸延に寄与するプラットフォームを成しうることから社会的に波及効果の大きな研究だと確信しています。
日本集中治療医学会第46回学術集会(2019年、京都)にて優秀演題賞獲得
研究業績
Activation of the β-adrenergic receptor exacerbates lipopolysaccharide-induced wasting of skeletal muscle cells by increasing interleukin-6 production. Matsukawa S, Kai S, Seo H, Suzuki K, Fukuda K. PLoS One. 2021 May 18;1 6(5):e0251921
研究紹介(周術期関連因子の血小板機能および凝固系に対する作用について研究)
我々の研究室では様々な周術期関連因子の血小板機能および凝固系に対する作用について研究している。現在、下記にように周術期使用麻酔関連薬、希釈式自己血輸血、SARS-CoV-2関連血栓症、血液粘弾性装置に着目している。
①周術期関連事象がヒト血小板に与える影響、およびその作用機序に関する研究
当科における血小板研究の歴史は古く、20年以上前に遡る。これまで当研究室からはセボフルラン、プロポフォール、チアミラールなど多数の麻酔薬の血小板機能、血液凝固に対する影響を研究し、内外に積極的に発信してきた。大学院時代には私はデクスメデトミジンをテーマとして血小板に対する作用について研究を行った(論文5, 6)。村田先生は筋弛緩剤ロクロニウムのヒト血小板に対する作用に関する研究をテーマの一つとした(論文4)。
②血小板機能温存を重視した新たな希釈式自己血輸血法の開発に関する研究
大量出血が生じる可能性のある人工心肺を使用した心臓血管外科手術症例において止血を目的とし、血小板機能温存を重視した新たな希釈式自己血輸血法の確立を目標としている。健常者から静脈血を採取し、保存方法(保存バッグのガス透過性、酸素濃度、pH、温度、振盪)を改変し、人工心肺離脱後に返血する際にも血小板機能が保たれ、止血機能が最大限発揮できる条件を明らかにする。これまで従来の塩化ビニル保存よりもポリオレフィンという酸素透過性の高い保存バッグを用いることで振盪なしでも血小板機能を高く維持できることを示した(論文3)。現在では、短時間でもバッグ素材以外の保存方法を改変することで血小板機能を維持できないかと考え、比較実験を行っている。
③SARS-CoV-2によるヒト血小板機能活性化メカニズムの解明と治療法の探索
重症COVID-19患者では、敗血症に伴う播種性血管内凝固症を模倣した止血異常を呈することで、血栓症リスクが著増し、臓器不全と死亡率に寄与していることから、血栓形成予防策の確立が切望されている。しかし、SARS-CoV-2感染が血小板機能をいかに変化させ、COVID-19の病態生理に寄与するかは未だ不明である。本研究では、SARS-CoV-2のヒト血小板機能に対する直接的な影響とそのメカニズムを解明することを目標とする。
④肝臓切除術における希釈式自己血輸血の有効性に関する研究
肝胆膵移植外科の内田医師グループとの共同研究。中・高難易度肝切除を受ける症例を対象とし、希釈式自己血輸血を施行することで、術後の肝不全発生率を抑制できないかを評価することを目的としている。また、血液粘弾性検査装置(TEG)を用いて希釈式自己血輸血の凝固能に対する評価を行っている。
⑤心臓血管外科手術におけるスポットケムHS (HS-7710) を用いた血液凝固能検査の前向き観察研究
これまで2つの異なるデバイスによる精度の比較研究を行ない、hyperdynamic stateに対応したver.4のフロートラックビジレオセンサーと肺動脈カテーテルの心拍出量測定における相関性を見る研究では、フロートラックが肝移植術では信頼性が高くないことを示した(論文1)。現在では、人工心肺使用心臓血管外科手術において、誘導スペクトル法という方法を用いた新たな血液凝固能検査機器であるスポットケムHSが、既に臨床使用されているTEG6sと同様またはそれ以上に、術中の麻酔管理にとって有用か否かを検証する比較研究を行っている。
第18回日本静脈麻酔学会にてJSIVA賞を受賞
「デクスメデトミジンの血小板凝集に対する効果についての検討」
・第66回日本麻酔科学会学術集会で優秀演題賞獲得
「ロクロニウムはスガマデクスで包接されないモルホリン環を介したP2Y12受容体シグナル伝達経路の遮断作用により血小板機能を抑制する」
研究業績
(1) Agreement between continuous cardiac output measured by the fourth-generation FloTrac/Vigileo system and a pulmonary artery catheter in adult liver transplantation Murata Y, Imai T, Takeda C, Mizota T, Kawamoto S Scientific Reports 2022;12:11198
(2) Utility of thromboelastogram in cardiac surgery in Jacobsen syndrome associated with platelet dysfunction Takeda C, Hirotsu A, Yasuhara G, Mizuno A, Tatsumi K, Kawamoto S JA Clinical Reports 2022;8(67)
(3) Effects of whole blood storage in a polyolefin blood bag on platelets for acute normovolemic hemodilution Murata Y, Kusudo E, Kawamoto S, Fukuda K Scientific Reports 2021 May;11(1):12201
(4) Rocuronium Has a Suppressive Effect on Platelet Function via the P2Y12 Receptor Pathway In Vitro That Is Not Reversed by Sugammadex Murata Y, Kawamoto S, Fukuda K. International Journal of Molecular Sciences 2020;21:6399
(5) Bidirectional effects of dexmedetomidine on human platelet functions in vitro Kawamoto S, Hirakata H, Sugita N, Fukuda K European Journal of Pharmacology 2015; 766: 122-128
(6) デクスメデトミジンはα2アドレナリン受容体を介してヒト血小板由来マイクロパーティクル産生を増加させる 川本 修司、福田 和彦 日本集中治療医学会雑誌 2018, 25(6):457-459
研究紹介(オピオイド受容体を起点とする細胞内シグナル活性化機構の解析)
オピオイドは、薬剤の種類によって耐性形成の程度や副作用の発現様式などがわずかに異なります。こうした現象は日常の診療においても臨床的に実感されることと思います。このように、同一の受容体を標的とするにもかかわらず、活性化した受容体を介したシグナル様式が各リガンド間でわずかに異なる現象は、Biased agonismもしくはFunctional selectivityなどと呼ばれます。
私たちの研究グループは、オピオイド受容体がリガンド特異的に多様なシグナルを生みだす分子機構に興味をもっています。リガンドによって活性化されたオピオイド受容体は、活性化依存的に様々な分子群と会合し、また翻訳後修飾を受け、活性型受容体複合体を形成すると想定されています。これまで、オピオイド受容体へのリン酸化修飾やユビキチン修飾の重要性が示唆されていますが、私たちは変異体を作出たり、CRISPR/Cas9のような新しい技術を利用して遺伝子欠損株を作ったりしながら、従来の常識にとらわれずに新しい分子機構を見出すことを目指しています。
研究業績
Shimizu S, Shiraki A CRISPR/Cas9 unveils the dynamics of the endogenous µ‐opioid receptors on neuronal cells under continuous opioid stimulation Pharmacol Res Perspect 2022;10: e00933