研究室案内
麻酔科学の領域は、手術における麻酔などの周術期管理だけではなく、集中治療や疼痛治療などの幅広い分野にまで及びます。当教室は、京都大学大学院医学研究科・侵襲反応制御医学講座・麻酔科学分野として、この領域の主だったトピックを広くカバーする研究を行っています。
当教室で行われている研究の主だった内容について概説します。
当教室の研究に興味を持たれた方、共同研究等を希望される方は
溝田敏幸(mizota[at]kuhp.kyoto-u.ac.jp )([at]を@に変えてください))までご連絡ください。
研究紹介
- 周術期循環管理と腎障害に関する研究
- ICU-AW発生メカニズムの解明及び予防方法の開発
- 周術期関連因子の血小板機能および凝固系に与える影響に関する研究
- オピオイド受容体を起点とする細胞内シグナル活性化機構の解析
研究紹介(周術期循環管理と腎障害に関する研究)
手術患者さんは、麻酔薬や合併疾患、手術侵襲などにより循環動態に大きな変化を来します。この循環動態の変化による臓器障害を防ぐことは周術期管理を担う麻酔科医の重要な責務の一つです。特に、虚血に弱い腎臓に生じる障害は、周術期循環管理の成否を反映する指標であると言えます。
我々は、周術期における循環管理と腎障害を主な研究テーマとして研究を行っています。腎臓を護る循環管理は全身を護る循環管理でもあると考え、手術患者さんを護るための周術期循環管理を目指して日々研究に取り組んでいます。
研究テーマ
① 人工心肺使用時の溶血評価と急性腎障害の予防
・人工心肺を用いる心臓血管手術における溶血と急性腎障害の関連性を明らかにします。
・溶血の早期発見と治療介入による、周術期合併症予防法の確立を目指します。
② 尿中酸素分圧を用いた腎虚血早期検出法の開発
・尿の酸素分圧が腎障害に至る前の腎臓の虚血を反映するという仮説を立て、尿中酸素分圧と術後急性腎障害の関連を解明します。
・腎虚血の早期発見、早期介入による腎障害予防を目指します。
③ 毛細血管充満指数(CRI)を用いた輸液反応性予測
・非侵襲的な末梢循環指標であるCRIの、輸液反応性予測指標としての有効性を評価します。
・個々の患者さんの状態に合わせた最適な周術期輸液療法の確立を目指します。
研究業績
Mizota T, Hamada M, Hirotsu A, Dong L, Matsukawa S, Takeda C, Egi M. Preoperative forced expiratory volume in one second and postoperative respiratory outcomes in nonpulmonary and noncardiac surgery: a retrospective cohort study. JA Clin Rep. 2024;10:44.
Dong L, Takeda C, Kamitani T, Hamada M, Hirotsu A, Yamamoto Y, Mizota T. Association between Intraoperative End-Tidal Carbon Dioxide and Postoperative Organ Dysfunction in Major Abdominal Surgery: A Cohort Study. PLoS One. 2023;18:e0268362.
Mizota T, Yamamoto Y, Hamada M, Matsukawa S, Shimizu S, Kai S. Intraoperative oliguria predicts acute kidney injury after major abdominal surgery. Br J Anaesth. 2017;119:1127–34.
研究紹介(ICU-AW発生メカニズムの解明及び予防方法の開発)
集中治療後症候群(Post Intensive Care Syndrome: PICS)は、集中治療室(ICU)入室中または退室後に生じる身体障害・認知機能・精神の障害と定義されています。その中でも、ICU-acquired weakness(ICU-AW)は、重症敗血症患者の約半数に発症する、左右対称性の四肢筋力低下を特徴とする疾患です。ICU-AWの発症は患者の生命予後を悪化させるだけでなく、退院後のQOLを大きく低下させることがわかってきました。しかし、現在のところ臨床的に確立された予防法はなく、栄養療法やリハビリテーションが唯一の介入手段となっています。重症患者の生存率が向上するにつれ、ICU-AWは集中治療領域における解決すべき重要な課題として注目されています。
我々の研究グループでは、ICU-AWの発症メカニズムの解明や有効な予防法の確立を目的として、培養細胞やマウスを用いた研究を進めています。具体的には、ICU-AWのリスク因子である、敗血症や不動化、鎮静薬暴露などを模した細胞およびマウスモデルを作成し、その機序を生化学的・細胞生物学的手法を用いて解析することで、新たな予防・治療戦略の探索を行なっています。これまでに、カテコラミンが敗血症を模した骨格筋細胞において筋萎縮を誘導すること(Matsukawa S. PLoS One 2021)や、ICUでの鎮静薬として注目を集めている揮発性麻酔薬が骨格筋量に直接影響を与えること(Taguchi A. Anesth Analg 2025)などを報告しています。
日本は世界に先駆けた超高齢化社会を迎えており、今後ますます増加する高齢重症患者において、ICU-AWの予防は喫緊の課題です。この分野の研究は、日本が世界を牽引するべき重要な社会的意義をもつテーマと考えています。我々の研究結果を臨床に応用し、ICU-AWの克服につなげることを目標に、日々研究に取り組んでいます。
・The 24th KSCCM-JSICM Joint Congress(2024年、北海道)にてExcellent abstract awardを受賞
研究業績
Activation of the β-adrenergic receptor exacerbates lipopolysaccharide-induced wasting of skeletal muscle cells by increasing interleukin-6 production. Matsukawa S, Kai S, Seo H, Suzuki K, Fukuda K. PLoS One. 2021 May 18;1 6(5):e0251921
研究紹介(周術期関連因子の血小板機能および凝固系に与える影響に関する研究)
研究室メンバー
川本 修司
楠戸 絵梨子
松本 承大(博士課程1年)
岡崎 香央里(医学科4年)
我々の研究室では様々な周術期関連因子の血小板機能および凝固系に与える影響に関して研究をしている。現在、希釈式自己血輸血、SARS-CoV-2関連血栓症、血液粘弾性装置、周術期使用麻酔関連薬をテーマとして進めている。
① 血小板機能温存を重視した新たな希釈式自己血輸血法の開発に関する研究
希釈式⾃⼰⾎輸⾎は、新鮮な⾎⼩板を含むため、優れた⽌⾎能を⽰す可能性がある。しかし、従来の全⾎保存法では、⾎⼩板凝集能が 15%から75%程度低下し、返⾎後も凝集能は回復しないことが報告されている。
② SARS-CoV-2によるヒト血小板機能活性化メカニズムの解明と治療法の探索
重症COVID-19患者では、敗血症に伴う播種性血管内凝固症を模倣した止血異常を呈することで、血栓症リスクが著増し、臓器不全と死亡率に寄与していることから、血栓形成予防策の確立が切望されている。しかし、目まぐるしく変異するSARS-CoV-2が血小板機能をいかに変化させ、COVID-19の病態生理に寄与するかは未だ不明である。本研究では、SARS-CoV-2変異株各種を用い、ヒト血小板機能に対する直接的な影響とそのメカニズムを解明することを目標としている。
③ 肝臓切除術における希釈式自己血輸血の有効性に関する研究
肝胆膵移植外科の内田医師グループとの共同研究。中・高難易度肝切除を受ける症例を対象とし、希釈式自己血輸血を施行することで、術後の肝不全発生率を抑制できないかを評価することを目的としている。また、血液粘弾性検査装置(TEG6s®)を用いて希釈式自己血輸血の凝固能に対する評価を行っている。
④ 心臓血管外科手術におけるスポットケムHS (HS-7710) を用いた血液凝固能検査の前向き観察研究
心臓血管外科手術は輸血製剤の消費量が最多の手術で、輸血投与の判断に血液粘弾性検査を用いる方法が推奨されている。誘導スペクトル法(DBCM法)を用いた血液凝固能検査機器であるスポットケムHSは、振動に強く、検体への刺激が少ないため高感度の測定が期待されるが、その精度に関する報告は乏しい。本研究では、人工心肺使用心臓血管外科手術患者において、スポットケムHSの血液凝固能測定と従来の血液凝固検査を比較しその関連を検証している。
⑤ 周術期関連事象がヒト血小板に与える影響、およびその作用機序に関する研究
当科における血小板研究の歴史は古く、20年以上前に遡る。これまで当研究室からはセボフルラン、プロポフォール、チアミラール、デクスメデトミジン、ロクロニウムなど多数の麻酔関連薬の血小板機能、血液凝固に対する影響を研究し、内外に積極的に発信してきた。現在は新しいベンゾジアゼピン系静脈麻酔薬レミマゾラムを対象とした研究を行っている。
・第70回日本麻酔科学会学術集会で優秀演題賞獲得(楠戸絵梨子)
「冷蔵保存vs室温保存:希釈式自己血輸血の血小板機能にとって最適な保存温度は?」
・第66回日本麻酔科学会学術集会で優秀演題賞獲得(村田裕)
「ロクロニウムはスガマデクスで包接されないモルホリン環を介したP2Y12受容体シグナル伝達経路の遮断作用により血小板機能を抑制する」
・第18回日本静脈麻酔学会にてJSIVA賞を受賞 (川本修司)
「デクスメデトミジンの血小板凝集に対する効果についての検討」
研究業績
(1) Enhancing acute normovolemic hemodilution in cardiac surgery: The role of remimazolam and hemodynamic stability, Eriko Kusudo, Shuji Kawamoto, Moritoki Egi Journal of Anesthesia, 2024
(2) Variant-derived SARS-CoV-2 spike protein does not directly cause platelet activation or hypercoagulability Eriko Kusudo, Yutaka Murata, Shuji Kawamoto, Moritoki Egi Clinical and Experimental Medicine, 2023
(3) Platelet function of whole blood after short‐term cold storage: A prospective in vitro observational study. Eriko Kusudo, Yutaka Murata, Tsuguhiro Matsumoto, Shuji Kawamoto, Moritoki Egi Transfusion, 2022
(4) Utility of thromboelastogram in cardiac surgery in Jacobsen syndrome associated with platelet dysfunction: a case report Chikashi Takeda, Akiko Hirotsu, Gento Yasuhara, Akito Mizuno, Kenichiro Tatsumi, Shuji Kawamoto JA Clinical Reports 8(1) 67 2022
(5) Agreement between continuous cardiac output measured by the fourth-generation FloTrac/Vigileo system and a pulmonary artery catheter in adult liver transplantation Murata Yutaka, Imai Takumi, Takeda Chikashi, Mizota Toshiyuki, Kawamoto Shuji Scientific Reports 2022;12:11198
(6) Effects of whole blood storage in a polyolefin blood bag on platelets for acute normovolemic hemodilution Murata Y, Kusudo E, Kawamoto S, Fukuda K Scientific Reports 2021 May;11(1):12201
(7) Rocuronium Has a Suppressive Effect on Platelet Function via the P2Y12 Receptor Pathway In Vitro That Is Not Reversed by Sugammadex Murata Y, Kawamoto S, Fukuda K. International Journal of Molecular Sciences 2020;21:6399
(8) Use of argatroban in combination with nafamostat mesilate in open-heart surgery for a pediatric patient with heparin-induced thrombocytopenia type II: a case report Shuji Kawamoto, Eriko Kusudo, Kazuhiko Fukuda JA Clinical Reports 6(1) 2020
(9) Bidirectional effects of dexmedetomidine on human platelet functions in vitro Kawamoto S, Hirakata H, Sugita N, Fukuda K European Journal of Pharmacology 2015; 766: 122-128
(10) デクスメデトミジンはα2アドレナリン受容体を介してヒト血小板由来マイクロパーティクル産生を増加させる 川本 修司、福田 和彦 日本集中治療医学会雑誌 2018, 25(6):457-459
著書
(1) ICUとCCU Vol.47 No.10 p.671-678 2023年
(2) ICUとCCU Vol.47 No.10 p.629-636 2023年
研究紹介(オピオイド受容体を起点とする細胞内シグナル活性化機構の解析)
オピオイドは、薬剤の種類によって耐性形成の程度や副作用の発現様式などがわずかに異なります。こうした現象は日常の診療においても臨床的に実感されることと思います。このように、同一の受容体を標的とするにもかかわらず、活性化した受容体を介したシグナル様式が各リガンド間でわずかに異なる現象は、Biased agonismもしくはFunctional selectivityなどと呼ばれます。
私たちの研究グループは、オピオイド受容体がリガンド特異的に多様なシグナルを生みだす分子機構に興味をもっています。リガンドによって活性化されたオピオイド受容体は、活性化依存的に様々な分子群と会合し、また翻訳後修飾を受け、活性型受容体複合体を形成すると想定されています。これまで、オピオイド受容体へのリン酸化修飾やユビキチン修飾の重要性が示唆されていますが、私たちは変異体を作出たり、CRISPR/Cas9のような新しい技術を利用して遺伝子欠損株を作ったりしながら、従来の常識にとらわれずに新しい分子機構を見出すことを目指しています。
研究業績
Shimizu S, Shiraki A CRISPR/Cas9 unveils the dynamics of the endogenous µ‐opioid receptors on neuronal cells under continuous opioid stimulation Pharmacol Res Perspect 2022;10: e00933