麻酔薬による糖尿病患者の血小板機能変化の解明と最適な周術期管理法の基盤確立
医の倫理委員会受付番号:R1109
平成29年度科学研究費助成事業(17K16730)
1. 研究の背景
(1)本研究に関する国内外の研究動向と位置づけ
麻酔科医にとって周術期の安全管理は極めて重要な課題であり、特に出血や血栓塞栓症の予防・管理には常に注意を要する。周術期関連薬剤や手術侵襲による血小板機能への影響に関する報告は散見されるのみで、血小板機能に影響を与えるメカニズムの解明はいまだ不十分である。
糖尿病は、様々な術後合併症のリスク因子であり、入院の長期化、保険医療資源の使用増大、および死亡増加の原因となる。最も重大な合併症の一つは、心筋梗塞、脳梗塞などの血栓塞栓症であり、血小板α2アドレナリン受容体機能の亢進がその一因を担っている可能性が報告されている[Platelets 16,111, 2015]。現在、術後集中治療室(ICU)に入室する患者の多くは、麻酔薬デクスメデトミジン(α2アドレナリン受容体作動性鎮静薬)、または麻酔薬プロポフォールの持続静脈注射により長時間鎮静される。そのため、麻酔薬の違いによる糖尿病患者の血小板機能変化を解明し、術後の出血・血栓塞栓症予防を考慮した最適な周術期管理方法を確立することが極めて重要である。
(2)当研究室のこれまでの研究成果と着想にいたった経緯
我々は、術後ICU領域で鎮静薬として昨今幅広く用いられるようになったα2アドレナリン受容体作動薬デクスメデトミジンの血小板機能に及ぼす影響について詳細に解析してきた。その結果、デクスメデトミジンはα2 アドレナリン受容体を活性化して細胞内サイクリックAMP濃度低下と細胞内Ca2+濃度上昇を介して血小板凝集を促進すると共に、I1 イミダゾリン受容体を活性化して細胞内サイクリックGMP濃度上昇を介し血小板機能を抑制することを示した[Eur J Pharmacol 766, 122, 2015]。さらに、これまで20年以上に渡り周術期に使用される薬物がヒト血小板機能に及ぼす影響について検討してきた。デクスメデトミジン同様に術中術後の鎮静薬として広く用いられているプロポフォールは、低濃度ではトロンボキサンA2受容体で活性化される経路を増強することにより血小板凝集を促進し、高濃度ではcyclooxygenase活性化を抑制することによって血小板凝集を抑制することを示した。この結果はプロポフォールは血小板機能に対して二相性の影響を及ぼすことを示している[Anesthesiology 91,1361, 1999]。また、揮発性麻酔薬ハロタンはトロンボキサンA2受容体のリガンド結合親和性を低下させることにより血小板凝集を抑制し[Anesth Analg 81,114, 1995]、揮発性麻酔薬セボフルランはcyclooxygenase活性を抑制することによりトロンボキサンA2産生を低下させて血小板凝集を抑制することを示した[Anesthesiology 85,1447, 1996]。
上記の如く当研究室においてin vitroで解析された健常人からの研究成果を礎として、糖尿病患者を対象とした血小板に対する麻酔薬の影響を解析するのが本研究である。糖尿病患者由来の血小板は、自然凝集能の亢進やα2アドレナリン受容体拮抗薬投与による凝集抑制作用の減弱が報告されている。さらに術後ICUに入室し、数日、長ければ数ヶ月もの長期に渡って鎮静され身動きの取れない状況は血栓症を起こすリスクをさらに高めるものである。そのため、本研究を術後の出血・血栓塞栓症予防を考慮した糖尿病患者に対する最適な周術期管理法の開発・応用の礎にしたいと考えている。
2. 研究の目的・意義
本研究は、開腹術後ICUに入室した糖尿病患者および非糖尿病患者から採取した末梢血を用いて、α2アドレナリン受容体作動薬デクスメデトミジンと静脈麻酔薬プロポフォールが血小板機能に及ぼす作用を解析することを目標とする。研究期間内の具体的な目標は以下の通りである。
in vitroにおける糖尿病患者の術後血小板機能変化の解析
ICUの患者の多くは血小板機能に影響を与える可能性のある様々な薬剤(例えば、カテコラミン類やヘパリン等)を入室後に投与される可能性がある。また長時間体動が制限され、血流が停滞する。こうした血小板機能に影響を与えうる因子を排除するため、開腹手術後ICU入室直後の糖尿病患者および非糖尿病患者から血小板を採取し、デクスメデトミジン、またはプロポフォールを付加してin vitroにおいて血小板機能変化の解析を行う。特に、血小板自然凝集能、細胞内Ca2+濃度、mitogen-activated kinase(MAPK)活性、サイクリックAMP産生、サイクリックGMP産生、P-セレクチン発現、血小板マイクロパーティクルレベルに注目し、デクスメデトミジンとプロポフォールが血小板機能に及ぼす影響の差を明らかにする。さらに、α2アドレナリン受容体拮抗薬であるヨヒンビンをデクスメデトミジンまたはプロポフォールと共に用い、α2アドレナリン受容体を介した血小板機能変化も解析する(右図:アウトラインⅠ)。
当該分野における本研究の学術的な特色及び予想される結果と意義
周術期における血小板機能は出血量、血栓塞栓症の発症に影響する可能性があり、術後数日、長ければ数ヶ月もの長期間にわたってICUにおいて投与されるデクスメデトミジン、プロポフォールの影響を明らかにすることは麻酔科学研究の中で非常に重要な意味を持つ。しかしながら、従来の報告は健常人血小板に薬物を作用させて惹起される現象の記載に止まるものが多く、臨床的意義の解明には至っていない。糖尿病患者は国内に2,200万人いるとされるが、本研究では糖尿病患者の臨床検体を用いて血小板活性化機構の各段階への麻酔薬の影響を解析し、これまでに明らかにされていなかった麻酔薬が糖尿病患者の血小板に及ぼす作用の臨床的意義解明を目指す点が特色である。また、糖尿病患者の血小板に特徴的な機能亢進したα2アドレナリン受容体と麻酔薬の関係性、手術侵襲と麻酔薬の末梢血中血小板マイクロパーティクルへの影響については従来報告がなく、本研究によって周術期に血小板α2アドレナリン受容体機能、血小板マイクロパーティクルの血中レベルを解析することの意義が初めて示される。これらの成果により、周術期管理における血小板機能変化の意義がさらに明らかになり、より最適な糖尿病患者の周術期管理方法の開発応用が期待される。
文責:川本修司